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Webサイトスタッフ奮闘記

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広島市安芸区の紹介

広島市安芸区を紹介します。

広島市安芸区の概要】(ウィキペディアより)

 1980年(昭和55年)4月1日に、広島市政令指定都市移行と同時に設置。

 広島市の東部に位置する。広島市内8区の中で最も人口が少ない区である。これは安芸郡海田町熊野町・坂町も編入合併する予定だったからである。

 合併で広島市に編入された旧安芸郡瀬野川町、旧安芸郡熊野跡村(現在の阿戸町)、旧安芸郡船越町、旧安芸郡矢野町の区域から成る。旧船越町に区役所があり、旧瀬野川町、旧熊野跡村、旧矢野町には安芸区役所の出張所が置かれている。

 区域は安芸郡海田町によって分断されており、旧矢野町の区域が飛び地となっている。当該地区の人口は約32,000人であり、全国で最も人口の多い飛び地である。

 安佐北区、東区、南区と接しており、東区、南区とともに安芸郡府中町を囲んでいる。1つの市で1つの町を囲んでいる全国で唯一の例である。


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おまけ

【ビジネスマンに贈る古今東西名言集】

 

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  われ人に勝つ道を知らず、われに勝つ道を知る

 

           徳川幕府剣術指南役 柳生宗矩

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  • 柳生に伝わる神陰流兵法の極意にいう言葉だが、宗矩は、

「私は人に勝つ道を知らない、ただ己に勝つ(克つ)道を知っている

だけだ」

という。兵法、剣の道もつきつめるところ己に打ち克つ努力に尽き

る、と述べるのである。

 

光の師範役になり剣の道で大名にとりたてられた数少ない人物だが、

彼は禅にも親しんで、教養人としても相当の武士だったようだ。

 

  • 神陰流剣術の完成者は、彼の父柳生石舟斎宗厳で、後世講談のヒー

ローになった武芸者だが、宗厳の師匠は上泉秀綱で諸国を遊歴して剣

技を磨き、やがて従四位に叙せられた講談ではなじみの深い剣術家で

ある。

 

慶の家臣になっていたことは確かで、彼の神陰流が有名になるに及んで

当時の諸大名が門弟になったようだ。

 

その案内役をつとめる。柳生家としては大きく羽ばたくチャンスだった

のだが、残念ながら、このとき石舟斎宗厳は病気のために信長のもとを

離れて、生地の大和柳生村に隠退してしまう。

 

  • このころから宗厳は息子の宗矩を世に出すことを考えていたようで、

たまたま豊臣秀吉太閤検地の際に密告によって隠田を知られ所領を

没収されたことがあって、宗厳の心は徳川に傾いてゆく。家康に会って

神陰流兵法を伝授しているくらいだ。

 

  • 秀吉の死後、いよいよ天下分け目の関ヶ原の戦いがはじまると、先に

述べたように息子宗矩を徳川方に従軍させ自らも家康に従って、柳生の

庄からはるかに下野小山まで出向いている。この功によって旧領地五百

石をようやく安泰にしたのだが、兵法指南というだけでは戦国の世でも

身を立てるのはなかなか大変だったようだ。