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Webサイトスタッフ奮闘記

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広島市東区の紹介

広島市東区を紹介します。

広島市東区の概要】(ウィキペディアより)
1980年 広島市政令指定都市に移行し東区として発足。
旧市内と安芸郡安芸町を合併した部分から成る。旧市内、すなわち二葉、牛田、早稲田、戸坂中学校の学区域は、東区の西側および南側を境する太田川およびその分流の猿猴川に沿っており、標高261mの牛田山の四方にまとまった平地を有している。
安芸町域すなわち温品、福木中学校の学区域は、温品川(府中大川)の谷筋に沿って南西から北東に延びており、三方を標高682mの呉娑々宇山をはじめとする山に囲まれた面積22.7km²の地区である。1960年代から住宅団地の造成が進み、さらに、1987年に山陽自動車道広島東インターチェンジが供用開始されたことに伴って都市化が進んだ。


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おまけ 

【ビジネスマンに贈る古今東西名言集】

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われ未だ志を得ざるとき、二文字を守れり。忍耐これなり

 

           江戸幕府初代将軍  徳川家康

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  • 家康の言葉だが、実はこの後に対句となって次のようにつづく。

「われまさに志を得んとするとき、四文字を守れり。大胆不敵これ

なり。

 われ志を得たるのち、四文字を守れり。油断大敵これなり」

と、三つの時期に分けて自分の心を戒めた教訓を明らかにしている

のだが、未だ志を得ない準備の段階では「忍耐」がもっとも大事だ

ったし、いよいよ志をとげようという実践の段階では「大胆不敵」

に、そして志を得た段階ではますますもって「油断大敵」と心得て

きたと、家康の性格そのままの表現である。

 

  • 戦国時代を生き抜いて日本統一を成しとげた家康らしい、といえ

ばその通りだが、この教訓は今日のわれわれにも生きる。特にこれ

から先、志を遂げようと思うとき、大切なのは忍耐の二文字。我慢

の尊さである。

 

  • 苦難に耐え忍ぶ忍耐の体験は、人間を一回り大きくすることは確

かなことで、一度体験することで人は落ち着きも取り返し、次なる

段階へ希望もわくものだ。家康は体験的にこの真理を知っていた人

物とも言える。

 

に生まれながら、六歳のときに尾張織田信秀のもとに人質に出さ

れ、ついで駿河今川義元のもとで第二の人質生活を余儀なくされ

る。いずれも近隣の大国に対して、父広忠が「決して反乱は起こさ

ない」とニ心のないことを示すための人質だった。

 

  • 年少の家康(当時、竹千代)にとってみれば、人質の意味がわかっ

ているだけに、ひたすら忍耐するしか方法がなかったわけだ。

 

に破れて戦死してからだから、前後十三年の人質であった。六歳か

ら十八歳までの年齢である。忍耐、苦労の味が十分にみにしみてい

たといえようか。