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Webサイトスタッフ奮闘記

Web作成事務所伝ネットスタッフ がおおくりします。

今日の名言

【ビジネスマンに贈る古今東西名言集】

 

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  神経質な男は大きく伸びる

 

            読売巨人軍元監督 川上哲治

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  • 名選手、必ずしも名監督にはなれない。選手と監督とでは、やる

ことがまるで違うのだから当然である。

 

あるとともに、ジャイアンツのV9を果たした名監督でもある。

稀有のリーダーといえる。

 

  • 川上はジャイアンツの選手を徹底的にしごいて戦う集団に作り上

げた。そしてさすがに個々の選手の性格や性質を的確に見抜いてい

る。

 

いう。王、それに張本はなるほどとも思えるが、あの合法磊落そう

な金田も神経質であったとは意外な感がする。

 

  • 神経質な選手はどうして伸びるのか。川上によれば、たとえば

ホームランを何試合も連続して打っても、神経質な選手は、

「これでスランプとは縁が切れた」

というふうには安心しないからである。つねに自分の能力や技量に

対して神経を向けているので、努力を怠ることがない。

 

  • さらに大事なことは、そうしたタイプの選手はいつも、より以上の

記録を目指して、たえず一人でコツコツ練習する。そのおかげで、技

術がいつまでも錆びつかず、大記録達成につながることにもなるので

ある。

 

ところから生まれた大記録といえる。

 

  • ビジネスマンでも、豪放磊落な人のほうが周囲の人の人気を集めや

すい。しかし、長い間つき合ったり、また一緒に仕事をやっていく上

では、そうしたタイプの人は、いつまでたっても進歩が見られなかっ

たり、時に大ポカをすることがある。総じて安定感がなく、安心でき

ない。

 

  • われわれは神経質なのをとかくマイナスに評価するが、決してそん

なことはない。じつに大きなことをやりとげる可能性をはらんだタイ

プなのである。

 

 

 

 

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古今東西名言集

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 やってみなはれ、なんでもやってみな、わかりまへんで

            サントリー創業者 鳥井信治郎

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が、病床の信治郎のもとを訪れ、ビールを手がける決心を打ち明け

たときも、信治郎は「やってみなはれ」と励ました。

 

  • サントリービールは、信治郎の亡くなった翌年の昭和三十八年に

発売された。しかし、ビール業界は販売店が系列化され、特約店制

になっていた。そのため、サントリービールは冷たくあしらわれ、

なかなか置いてもらえなかった。

 

  • 何度も社員が足を運んで、やっと置いてくれる店が出てきたが、

他のビールと一味違うためか、売れ行きがパッとしなかった。固定

客がなかなかつかず、売れ行きにムラがあった。

 

  • 佐治は苦境に立たされた。

(大きな資本を投入して工場をつくったのに、これでは意味がない。

セールスの特攻隊を組織して、体当たりでやってみよう)

 

  • 父親ゆずりの「やってみなはれ精神」を燃え立たせた佐治は、社

員のなかから猛者を選んで特攻隊を組織した。この特攻隊は「新撰

組」のニックネームで呼ばれた。

 

指揮にあたった。隊士たちは、セールスの車に乗り、めざす飲食店

に着くと、重たいビールケースを肩にかついで訪問し、置いてくれ

るよう説得した。こうした敢闘精神によって、サントリービールの

扱い店は少しずつ増えていった。

 

  • とはいえ、シェアは遅々として伸びない。四十一年までは、1パ

ーセント台の惨敗であった。五十年にはようやく5パーセント前後

になり、五十五年ごろから7パーセント台とすこしずつ伸びてきた。

 

  • 「自分が責任をもってやるときには、最後までやり通さなあかん」

佐治は、父がウィスキーでやったことを、ビールでやる決心でがん

ばった。そのがんばりが報われるのは、シェアが10パーセントに

達したときだと、自らにいい聞かせている。

 

 

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古今東西名言集

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  家臣に恨みを持つ者ができて

  主君を裏切り、敵に内通し、混乱が生じて

  名家が滅びた例が少なくない

             戦国大名 伊達政宗

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  • 「独眼流」の名でその猛勇振りをたたえられた伊達政宗は、時流

を的確に見通す目と部下を掌握する器量をも備え、豊臣秀吉や徳川

家康にも内政干渉を許さなかった名将である。

原の決戦で破って、会津一帯を掌中におさめた政宗は、葦名の旧城

であった黒川城に居を構えた。

  • ある日、家老たちが進言した。

「ご当家は御領国も広大となりました。今のお城ではいかにもお粗

末でございます。この際、お城の普請をなされてはいかがでしょう」

  • 政宗は「それはできない」と言下に否定し、次のように諭した。

「堅固な城を築こうと思うのは、小大名が、敵の攻撃にあったとき、

城に立てこもって隣国の大将の援軍を待とうとする心があるからだ。

わしにはそのような心はない。敵が攻め入ってくるようなことがあ

れば、国境に出撃して撃ち破るか、敗れて討ち死にするかのいずれ

かじゃ。なによりも堅固な城を構えるには及ばん。それよりも、そ

のほうたちはじめ、家臣一同の結束と軍事の備えが大事である。城

の普請にかける金があれば、そのために使いたい」

 家老たちは、心から政宗の言葉にうなずいた。

  • ついで政宗が口調を改めていったのが引用の言葉である。このあ

とに、「禍は内から起こるもので外から来るものではない」とつづけ、

「したがって、家臣たちが不満を持ったり、恨みを含んだりしない

よう、わしは常日ごろから心がけている。わしが領土を広げ、その

ほうたちの俸禄が増えるのも家中が治まっているのも、みなが心を

一つにしているからこそできることなのだ」

  • 組織は内部から崩壊しやすい。その原因となるのが「獅子身中の

虫」である。そうした「内なる敵」をつくらない管理を心がけなけ

れば成らない。

 

 

 

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古今東西名言集

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  まず熟慮し、しかる後断行す

             ドイツの軍人 モルトケ

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の統一に貢献した人。彼は戦いに臨んでこの姿勢を忘れず、そして

オーストリア軍に勝ち、フランス軍に勝った。

 

  • しかし、このことは軍事に限らず、ビジネスにおいても十分にい

える言葉である。まず事を起こすに当たっては十分に考え、そして

決断したからには速やかに行動に移す。我々にはこの姿勢が大切で

あろう。

 

る。

 

  • それは昭和三十九年の経済界大不況のときだった。当時、彼のウ

シオ電機はハロゲンランプやクセノンランプなどの特殊電球を作っ

ていて、カメラのリコーなどに納めていた。

 

  • ところが不況で納入先のリコーが倒産の危機に瀕してしまった。

そのとき、彼は引き続いてリコーにランプを納入すべきか否かの岐

路に立たされた。取引先の銀行や会社の番頭重役たちは「リコーと

討死する必要はない」と出荷をとどめた。しかし、牛尾にすれば、

リコーの市村清社長には恩義がある。個人的には市村と討死をした

い気持ちだった。

 

  • 出荷を続けるべきか否か、彼は一週間近く悩んだ。当時、彼は家

業のウシオ電機を引き継いだばかりで、まだ三十二、三歳という経

験の浅い青年経営者だった。若いとはいえ、彼が最大の権限を握る

経営者であることも間違いなかった。一週間近く会議を行っても何

の結論も出ず、幹部連はただ彼の顔色をみるだけだった。

 

  • そこで彼は覚悟を決めて決断を下すのである。

「市村さんは恩義のある人、その人と一緒に死ぬことも人生じゃな

いか」

 として、倒産を覚悟でランプの納入続行を決断するのである。

 

  • 結果として、リコーの市村清は奇跡的ながんばりを見せ、リコー

の立て直しに成功した。そしてウシオ電機もまた高度成長へのきっ

かけをつかむことになった。

 

 

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古今東西名言集

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   決意は遅くとも、実行は神速なれ

 

            イギリスの文学者 ドライデン

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  • ドライデンは、イギリスの大政復古期の文壇で活躍した第一人者。

詩、劇作を書き、批評家としても名を成した。

 

  • ドライデンの時代を見通す眼力は鋭く、合理的な決断と神速な実行

で成功をおさめた。タイトルの言葉に、ドライデンの実行力の冴えが

うかがえる。

 

  • 東洋レーヨン会長の田代茂樹が昭和二十五年にアメリカ・デュポン

社の開発したナイロンのライセンスを取得しようとしたとき、なかな

か決断できなかった。それというのも、ライセンス使用料が二百万ド

ル(十億八千万円)という高額のためであった。当時の東洋レーヨンの

資本金が七億五千万円だったことを考えれば、田代が二の足を踏むの

もうなずける。

 

  • しかし、なんとしてもナイロンのライセンス使用権が欲しい。九州

の出張から芦屋の重役寮に帰り、床についても、そのことが念頭を離

れない。ビールをあおってぐっすり眠った。翌朝、田代は、はっと気

づいた。(十億八千万だって、二、三年の分割払いにすれば可能だ)

 

  • 田代は、ナイロンのライセンスを買う決断をすると、ただちにデュ

ポン社と交渉にはいった。話は、田代の望んだ線でまとまった。

 

  • あとは、デュポン社のナイロン技術をどれだけ神速にマスターして

導入するかだ。田代ら一行は、契約が成立したその日から現地のホテ

ルにこもって、英文の技術文書と取り組み、契約後、二週間ほどでマ

スターして帰国した。

 

  • デュポン社のナイロン技術を導入した効果は二十七年ごろからあら

われ、翌年にはナイロンブームが起きた。東洋レーヨンは、競合他社

がうらやむほどの成功をおさめることができた。

 

  • ドライデンの言葉のように、田代の決意は遅かったが、神速に実行

したことが功を奏したのである。決断を急ぐあまり、あきらめてしま

っては、大成功を逃がすことになった。時には、じっくり決断し、時

機を逸せず神速に行動することだ。

 

 

 

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今日の名言

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  もっと小さく安くできるはずだ

 

            ソニー創業者 井深 大

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  • 井深は、部下が研究開発した製品が、目標を下回っているとき、

この言葉とともに何度でもやり直しを命じた。新製品に対する井深

の目標はきびしかった。そのサイズ、コストとも、ソニーでなけれ

ば果たせないものにしたい、という強い願望があったのである。

 

  • (社長がああいうからには、この製品はもっと小さく、安くできる

はずだ)

部下は、二度、三度、突き返されても、愚痴をこぼさず新製品の改

良に懸命に取り組んだ。

 

  • その結果、これなら、と自信の持てるものができあがる。

(今度こそ、社長の喜ぶ顔が見られる)

 

  • 部下が意気ごんで改良を加えた新製品を持ち込むと、井深はきび

しい技術者と経営者の眼力でチェックし、まだ目標を下回っている

と思えば、また、タイトルの言葉とともに突き返す。反対に、目標

どおりに仕上がっていれば、「ありがとう」の言葉を繰り返しながら、

技術者の手を力強く握りしめ、労をねぎらう。

 

  • こうして世に送り出された新製品は、つねに創意の感じられるス

マートなものばかりとなり、日本国内ばかりか、海外でも評判にな

った。ソニーの新製品の陰には、井深と技術者たちのイノベーショ

ンをめぐる妥協のない戦いがあったのである。

 

身)をスタートさせるとき、「どこでもやらないもの、どこでもやれ

ないものを作る」ことを企業目的に掲げた。

 

  • その後、井深たちが世に送った新製品をみてみれば、掲げた企業

目的を着々と果たしていることがうなずける。

 

  • ソニーは人まねをしない----新製品の一つ一つがそう叫んでいる

ようである。

 

  • 井深は、「企業の技術力を決定づけるのはトップの方向づけにある」

とする。確かに、一人一人の技術者の力量、創意がどんなに優秀でも、

トップの方向づけが的確でなければ、組織的なものにはならない。

 

  • その方向づけに重要な役割を果たしているのが、引用の言葉なので

ある。

 

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古今東西名言集

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  成功は勇気にかかっている

             フランスの劇作家 フォントネル

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十七世紀後半から十八世紀前半に生きた、フランスの劇作家、

啓蒙思想家のベルナード・フォントネルの言葉である。

 フォントネルは、劇作のほかに評論『世界の多様性について』

を著し、科学の成果を世に広めた。

 

  • この言葉のとおり、どんな事業でもそれを成し遂げられるか否

かは、その人の信念なり勇気なりにかかっているものだ。

 

  • 大都工業という会社がある。埋め立て業界では知られた会社で

ある。その創業者を小川耕一というが、彼は、千葉県野田の農家

の生まれで、それこそ裸一貫で大都工業を創り上げた人だった。

 

  • 昭和三十五年のことだが、彼は静岡県の大井川河口に港を建設

する計画を打ち出した。大井川から砂利を採取し、それを船で東

京へ運ぼうという遠大な計画であった。

 

  • 当時、東京地区はオリンピックを三十九年に控えていたので、

砂利資源は不足することはあっても余るということはなかった。

そのうえ、東京近郊には適当な砂利資源はなかった。砂利不足は

日本の建設界の危機と見てとった彼は、砂利の宝庫大井川で、砂

利資源の開発に乗り出したのである。

 

  • ところが静岡県は彼の計画に賛意を示さなかった。港の建設と

いうのは一私企業がやるべき事業ではない、というのが静岡県の

考え方だった。

 

  • 実際、日本のどこを見ても一企業が私用のために港を作ったと

いう例はない。港というものは国や県がつくるものと相場が決ま

っている。ましてや、名も知られていない東京の位置埋め立て業

者大都工業とあってみればなおさらだった。

 

  • しかし彼は、「地元大井川町の発展にも役立つもの」として熱心

に陳情を続け、やっと二年後の三十七年に許可を獲得するのである。

その後、資金集め、工事などに難航をきわめた。一時は本体である

大都工業の株価が五十円の額面を割るほど資金難で、苦しい局面に

追い込まれたが、三十九年にはついにそれを完成させてしまうので

ある。

 

  • ある経理担当者が資金が集まらなくて悩んでいたとき、小川は彼

にこういった。「世の中のためにやっている仕事なのだから、必ず

お金は貸してもらえる。貸してもらえないのは君のお願いの仕方が

足りないからじゃ」

 

  • 男が信念をもって始めた仕事は強い。そして勇気をもって仕事を

すればたいていの仕事は成功するものである。

 

 

 

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